あらすじ『一人称単数』村上春樹(文藝春秋、2020)

本の基礎情報

「一人称単数」は村上春樹の2020年に出版された8つの短編小説から成る短編集です。それぞれの物語の記述はシンプルな「僕」と「私」といった一人称単数とその視点で書かれます。それによって物語がリアルな個人体験によって描かれているように見える効果があり、物語の中の不思議な出来事に一定のリアリティを持たせています。

石のまくらに

僕が19歳の時、ある冬の夜、アルバイト先の大衆的なイタリアン・レストランのチホという25歳くらいの同僚の女性と一度だけ寝た。次の朝、彼女は短歌を書いていて、僕にその短歌を聞きたいかと訊いてくる、僕はうなづいたが、彼女は短歌を声に出して詠むことは恥ずかしいとためらって、歌集を送ると約束した。一週間後に彼女のほとんど手作りの詩集が送られてきたが、僕はしばらく読まなかった、、、

クリーム

僕が18歳で予備校生だった頃、不思議な体験をした。10月、僕はピアノ教室で一緒に連弾をしたことがあるが親しくない女の子からリサイタルの招待状が送られてきた。僕は、当日、神戸の山の上にあるコンサート・ホールへバスで向かったが、人影はなく、ホールは閉じられていて、リサイタルは行われていなかった。僕は仕方なくホールの近くの公園のベンチで座っていると、拡声器でキリスト教の宣教をする街宣車が近くを通って、僕はその説教を聴いたが、やがて離れていった。すると、突然、僕は持病のストレス性の過呼吸に襲われて意識を無くした。目を覚ますとみすぼらしくはない老人が横に座っていて、「中心がいくつもある円や」と僕に言う、、、

チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

僕は架空のレコード「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」(1963年 録音、ピアノにアントニオ・カルロス・ジョビン、ギターはジミー・レイニー、ベースはジミー・ギャリソン、ドラムはロイ・ヘインズ。チャーリー・パーカーは1955年に亡くなった(とされている)。)についての細部までもっともらしくでっちあげた批評を書いた。それはある大学の文芸誌に載った。15年後、奇妙なことに僕はそのレコードと完全に一致するレコードをニューヨークのイースト14丁目の小さな中古レコード店で見つけた。しかし、それは私家版のブートレグのようなレコードであり、いたずらで誰かが僕の記述通りに作ったでっち上げのレコードだと思い、35ドルもしたので買わずに店を出た。僕は思い直して、再びレコード店を訪れたがそのレコードは消えていた、、、。そのずいぶん後で、僕はパーカーが「コルコヴァド」を演奏する夢を見て、彼と話した、、、

ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

1964年の秋のはじめ、真っ黒な長い髪の脚が細い、素敵な匂いがする美しい女の子が英国オリジナル盤のビートルズのLP「ウィズ・ザ・ビートルズ」を胸に抱えながら高校の暗い廊下を早足で歩いていた光景を僕は確かに覚えている。しかし、僕は再び彼女を見かけることはなかった。

1964年、ビートルズはその世界的人気の頂点にあった。僕はその曲が好きで長い時間ラジオで聴いていたが、僕は熱心なビートルズ・ファンではない。僕は受動的にビートルズを聴いていたし、それは青春のBGMでしかなかった。実は僕が「ウィズ・ザ・ビートルズ」の全体を初めて聴いたのは30代半ばになってからだ。しかし、その音楽は決して息を呑むような素晴らしい音楽ではないと思った。だが、このアルバムが大ヒットしたのは当時の聴衆がビートルズの音楽の供給を望んでいたこと、そして、モノクロームの4人のハーフシャドウのポートレイトのジャケットが印象的だったからだ。

次の年、僕は高校の同級生で神戸の裕福な家の娘のサヨコと恋人になった。彼女はビートルズの音楽に興味は無かった。彼女の家族はパーシー・フェイス楽団の『夏の日の恋』やロジャー・ウィリアムズ、アンディー・ウィリアムズ、ナット・キング・コールのようなイージーリスニング音楽を聴いていた。

秋の終わりのある日曜日、僕はデートをするためにサヨコを迎えにいった。しかし、彼女のお兄さん以外の家族は外出をしていた。なので、僕は仕方なく彼女の家の居間で彼女を待って、その間、彼女のお兄さんと話した。彼は記憶が途切れる病気に罹っていて、高校は卒業したが大学には行かず、ほとんどの時間を家の中で過ごしていると言った。そして、彼は僕に僕の読んでいた国語の副読本の中にある芥川龍之介の『歯車』の一部を朗読するように頼んだ。(彼女の不在は僕のミスで、デートを約束し他のは次の週だった。)

それから約18年後、僕は偶然、渋谷でサヨコのお兄さんに会った、、、

『ヤクルト・スワローズ詩集』

僕は大学に入るために東京に来た1968年、サンケイ・アトムズの時代からヤクルト・スワローズを応援している。住んでいる場所から最も近い球場のホームチームを応援するということが僕のポリシーだからだ。(正確には後楽園球場の方が少しばかり近いのだが。)スワローズは弱く、神宮球場の観客は疎らだが、僕は外野の芝生席に寝転んで、ビールを飲みながら野球を観戦しているだけでそれなりに幸せだった。僕は「今日も負けた」という世界のあり方に、自分を慣らしていった。そこから僕は「どのように相手に勝つか」ではなく、「どのようにうまく負けるか」という教訓を学んだ。その暗い時代、ゲームを観ながら、僕はスワローズについての詩のようなものをノートに書き留めた。そして、1982年、僕は「ヤクルト・スワローズ詩集」を自費出版のような形で出版して、500部を印刷した、、、

謝肉祭(Carnaval)

F✳︎は僕の知る限りもっとも醜い女性だ、しかし、彼女の普通でなさは多くの人々を魅了した。そして、彼女は力強い個性と「吸引力」、洗練性を持って、その容姿との落差が彼女の魅力とダイナミズムになっていた。あるフランスの女性ヴァイオリニストのコンサートの後、僕とF✳︎はビストロで食事をして、究極のピアノ音楽について議論した。僕はシューマンの『謝肉祭』を提案して、F✳︎も積極的に賛成し、僕たちは長い時間語り合った後、『謝肉祭』の同好会のようなものを作ることにした。僕たちは恋人としてではないが親しく付き合って、僕は彼女の代官山の瀟洒なマンションに招待された。彼女はそこで人間は仮面をかぶっていて、悪霊の仮面の下には天使の素顔が、天使の仮面の下には仮面の素顔がある、シューマンはその複数の顔を同時に見ることができる人だったと言った。数ヶ月後、僕の妻はテレビで、、、

品川猿の告白

僕は群馬に一人旅をした時に年老いた猿に出会った。僕が安宿の温泉に浸かっている時、猿が浴室に入ってきて、僕の背中を流した。彼は品川の御殿山にある学芸大学の物理学の教授の家に住んでいて、人間のように教育された。そして、三年前からこの宿で働いている。その夜、僕と品川猿は僕の部屋でビールを飲みながら話した。彼は人間のように育ったので猿の社会には戻ることはできない、だが、彼は人間の女性と恋をすることもできないと言った。だから、彼は特別な力と念力あるいは精神的エネルギーを浸かって七人の女性の名前を奪って、生き続けていくための燃料である愛としてそれを蓄えていると告げた。それから五年後、僕は三十歳前後の旅行雑誌の女性編集者と打ち合わせをした。その時、彼女は不意に名前を忘れて、以前に運転免許証を品川の近くで、、、

一人称単数

私は年に数回したスーツを着ない、その様な状況がほとんど巡って来ないからだ。なので、私は儀式としてたまにスーツを来てネクタイを閉めて革靴を履いて近所を歩く。私はスーツを着ると違和感や罪悪感を感じ、それを倫理的課題を含んだ詐称だと思う。ある気持ちの良い春の宵、私はポール・スミスのダーク・ブルーのスーツにエルメネジルド・ゼニアの細かいペイズリー柄のネクタイを付けて、一度も入ったことのないバーに行ってみた。私はウォッカ・ギムレットを注文し、ミステリー小説を読んだ。バーの大きな鏡で自分のスーツ姿を見ると「私はどこかで人生の回路を取り違えたかもしれない。」という感覚に襲われたが、私は私の様々な選択の結果として、ここに「一人称単数の私」として実在する。二杯目のギムレット飲み始めてしばらくすると、突然、私は隣の見知らぬ女性から「そんなことしていて、なにか愉しい?」と尋ねられた、、、

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商品詳細

一人称単数
村上春樹
文藝春秋、東京、2020年7月18日
236ページ、1500円
ISBN 9784163912394
目次

  • 石のまくらに
  • クリーム
  • チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
  • ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
  • 『ヤクルト・スワローズ詩集』
  • 謝肉祭(Carnaval)
  • 品川猿の告白
  • 一人称単数

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